インタビュー:吉野靫さん

わかりやすい当事者の語りばかりではない

山下:ほかの方、ご質問ありますか?

Lina:一般的に、FTMの方は、男性の友だちってできやすいのでしょうか?

吉野:人によりますね。FTMでも完全に男性として通用して、男性コミュニティのなかでやっていけている人もいると思います。ただ、シスジェンダーの男性でも男性コミュニティが苦手な人がいるように、トランスジェンダーの男性でも苦手な人もいるでしょうね。生理の苦労を知っているとか、女性として生きてきた経験から女性の抑圧状況がわかっているから、女性との関係を築くのが得意だと言っている人もいます。

山下:逆の場合は、どうなんでしょう?

吉野:それも人によるかな。というより、時代によるかも。若いうちからトランスを開始することができれば、男性特権と無縁に生きてきて、女性としての経験のほうが長い当事者もいますね。はじめからトランスだとわかっている人と周囲がどう友人になれるかという点についてなら、経験上、圧倒的に女性のほうが柔軟ですよ。

山下:ノンバイナリーというのは、男女二元論ではないということかと思いますが、そうすると、かなり広い意味合いがあるとうことでしょうか。

吉野:ノンバイナリーは、いちばん包括的な言葉で、そのなかに細かな用語があります。私は、男性・女性にどっちにも帰属感が持てないタイプですが、人によっては、どっちにも帰属感があるという人もいますし、半々だとか、7対3だとか、流動的だという人もいます。

山下:細かくしても、かっちり名づけることは難しいのかもしれないですね。流動的であったり、移行中であり続けるというか。

吉野:そうですね。私はわりと、細かい名づけは重要視してないです。実存が先なのに、言葉にとらわれている人もいるかなと思います。

山崎:先ほどのノンバイナリーもいろいろというお話について。中島潤さんは、ノンバイナリーやXジェンダーというのは連帯の言葉で、男女のふたつに分けない、いちいち性別を訊かない、そこを焦点化しないということに意味があると言っていました(前記の講演)。性別についても、ほかの特性や帰属と同じくらいのウェイトで扱ってほしいと。わたしもニュースなどの報道でも、すべての場合にわざわざ性別を言う必要があるのか疑問に思います。そういう実践を積んで規範や慣習を変えていくしかないのかなと思います。

吉野:私は「トランスの人と接するときにどうしたらいいですか」と訊かれたときは、「シスジェンダーの人にいちいち聞かないことは、トランスの人にも聞かないでほしい」と応えてます。いつから自分を女性・男性と思ったかとか、心の性別がどうとか、なんでトランスの人だけに聞くのか。性別も数ある個人を構成する要素のひとつにすぎない。

ただ、ちょっと注意したいのは、ノンバイナリー、Xジェンダーといった概念を拡張しすぎて、「女・男にこだわらないから、私もノンバイナリー」みたいになると、一般化されすぎてしまうかなと思います。シスジェンダーとして自分の身体に問題なくなじんで、ジェンダー規範にこだわらないということと、どうしても自分の身体と折り合いがつきにくいということとはちがう。女・男を気にしないみたいな感覚でノンバイナリーが広がってしまうのは、単純化しすぎだと思いますね。

〈――出産にまつわる質問を受けて〉

吉野:私は、FTMで出産したいと思っている人は、どんどん出産したらいいと思っています。私自身も昔は、子どもをもつ可能性もあるかもしれないからホルモン治療はしないでおこうと思っていた時期もありました。妊娠するのは女性の証だからFTMならイヤなはずだと言う人もいますが、そう単純な話ではないですね。ただ、私自身は裁判をやって、精神的にまいってしまって、自分のめんどうを自分でみられないのに子どもは無理だと思って、子どもはもたないことにしたんですね。

ただ、ちょっと語り方で難しいと思うのは、子どもをもつという選択をした人のなかには、「性同一性障害やトランスジェンダーの当事者でも、子どもをもつほうがいい」とか、「子どもって最高だよ」みたいなことを言う人もいるんですよね。でも、それって血統主義にもなります。あるいは、FTMで子どもを生むことができる人が、女性パートナーに子どもを産んでもらって、ことさらに「子どもって最高」と発信していると、ちょっと引っかかる部分はありますね。「外注」の感覚ではないのかと。もちろん、自分の身体を使って子どもを産むほうが価値があるという言い方になってしまわないように、注意する必要があるとは思いますが。

山下:先ほど、胸への違和感はあったけど、子宮への違和感はないとおっしゃっていましたが、それと出産については、どういうつながりになりますでしょうか。

吉野:子宮や卵巣は、ふだんは認識できないから違和感としてハッキリ語るのはヘンだなと思っていたんですが、実際におなかのなかに子どもができて、それを意識させられれば、ちょっとちがう感じ方をするかもしれないです。先ほど、精神的にまいってしまったから子どもをもたないことにしたと言いましたが、ほんとうに大丈夫なのか、確信が持てないからというところもあります。おなかで子どもが動くようになってから、やっぱり無理となっても、取り返しがつかないので。

Lina:戸籍は現在どちらですか?

吉野:これは誰にでも訊いていい質問ではないです。なぜかといえば、いまの日本の法律をもとにすれば、あなたは身体をどこまでいじってますかという質問と同義になってしまいますので。

Lina:通っていた病院にGID外来があり、カップルや親子で来院されているのを知って、軽率な質問をしてしまいました。すみませんでした。

山崎:子どもの話ですが、NHKのドキュメンタリー番組(ハートネットTV「あいまいな性別違和~新しい家族のかたちを探して~」)で、自身に性別違和のあるディレクター(*5)が制作したセルフドキュメンタリー番組を見ました。番組内でディレクター自身が男性のパートナー(夫)とのあいだに子どもをつくらなきゃ、という義務感や後ろめたさを持っていると語っていたのが印象的でした。自分が子どもをもつことには抵抗がある。性別違和はあるけど、男性のパートナーと暮らしていることはそれほど問題ないと。そういう人がいるのはめずらしくはないのでしょうか。

吉野:FTM的な人が男性とパートナーシップを持っているということですか??

山崎:そうです。

吉野:シス男性にゲイやバイセクシュアルの人がいるのと同じで、FTMのなかにも、男性に性的指向が向く人もいるということですよね。でも、異性愛主義と結びついて、自分が男性であることを示す条件のひとつとして、恋愛の相手は女だという語りは昔からあるんですよね。「自分の心が男だと気づいたのは、保育園のときに女の子が好きになったから」とか。異性愛主義を性別違和を補完する材料として使うという面がある。なので、FTMと男性との関係って、あまり公には語られてこなかったところはあります。

山崎:そのディレクターは、番組内では自分はトランスだとは言ってないんですね。性別違和があると言っているだけで。じゃあ、男性のパートナーをもってどうなのと聞かれたとき、「ゲイに近い感覚」と言ってました。この方は自分で語りをつくるようなことはせず、自分の持っている性別についての違和感を具体的に語っていましたが、そういう人って、ほとんど表に出てこないですね。その人は自分がディレクターとしてドキュメンタリー番組を作るポジションにいたから、このような番組を制作できたわけですが、ただの当事者としてどこかのテレビ局に持ち込んだら、たぶん断られておしまいだっただろうと思います。

吉野:そうですね。そういうあいまいな人とか、なんとなく折り合いをつけて生きている人は、いくらでもいると思いますが、メディアが取り上げたがるのは、劇的な変化のある人で、「昔はこんな活発な男だったけど、こんなにきれいな女性になった」とか。トランスかもしれないけど、なんとなく折り合いをつけて生きている人って、昔から数多くいると思います。トランスのことだったら、この人にコメントをとっておけばいいみたいな怠慢な姿勢がメディアにはあると思います。もっと、いろんな当事者に話を聞くことが必要だと思います。

山下:特例法の話もそうですが、一部の当事者の話が代弁機能をもってしまって、かえって抑圧的な面をもってしまったり、ゆがめてしまう面がある。そのあたり、どうしていったらいいんでしょうね。私がかかわってきた不登校の文脈でも、悩んできたところです。

吉野:ほんとうに、いろんな当事者運動であることですよね。メディアがとりあげるのは、いわば一芸のある人で、でも、ほとんどの当事者はそうではない人です。それと、語ることのできる条件のある人しか語れないという問題もありますね。トランスと明かしても食べていける人とか、生活に影響のない人とか、そういう条件のある人しか語ることができない。そうなると、メディアに出る人はかぎられてしまって、またあの人かみたいなことになってしまいがちですよね。

一方では、いまは、いろんなトランス当事者が発信していて、ちょっとでも意識のある人は、自分の話すことはあくまで個人の経験でトランスの代表ではないと言っていると思いますが、受けとる側は、そうでもなかったりしますね。

山下:つまりは、聞く耳の側の問題ですよね。いまの社会規範のなかで理解されやすい語りが反復されて増幅してしまうところがあると思います。マジョリティの側は、ちゃんとマイノリティの声を聞いてますよと。でも、少しは意識が変わっても、マジョリティの規範が、かえって変なかたちで固まってしまっている面もありますよね。

吉野:そうですね。やっぱり、わかりやすい当事者だけをわかりたいとか、制度を脅かさない範囲の当事者だけをわかりたいみたいなところはあると思います。

山崎:「中性人間」の話でも、戸籍制度とか家父長制を脅かさないものだけを受けいれるということですよね。自民党がLGBTを受けいれるなんてと驚いたけど、結局は、やってますよというアリバイづくりみたいなものでしょう。

貴戸:多様性を認めていくという流れはあるけど、そこで消去されてしまう政治性の問題もある。いろんな人がいてOKということは、言っていかなければならないんだけど、それがマジョリティとマイノリティを並列に並べてしまって権力関係を見過ごすことになってしまってはよくない。難しい問題ですが、そこをちゃんと見ていきたいですね。今日は、「ああ、私たちのフィールドでも似たことが起きている」と思いながら、お話をうかがいました。

山下:もっと、当事者として以外のこともうかがいたかったですが、時間も3時間を超えてしまいましたし、ぼちぼち終わりたいと思います。

吉野:正直、トランスのことばかり話すのも飽きるし、めんどくさいと思うときもあります。私だって、いろんな面を持っているので。香港のカンフー映画が最高だということをメインに語りたいとか(笑)。

山下:尾崎豊とかシャアの話も、もっと聞きたかったですね(笑)。

Lina:尾崎の好きな曲をうかがってもいいですか? 私は『僕が僕であるために』です。

吉野:そうですね……。尾崎は、13歳から20歳ぐらいまでハマって、めちゃくちゃ聞いて、そのあと、あんまり聞かなくなってしまったんですよね……。

山下:「卒業」してしまったんですね(笑)。

吉野:そうですね(笑)。中学校時代、一番好きだったのは、『誕生』というアルバムのなかの『永遠の胸』という曲です。まあ、私みたいな立場のトランスも話さないと、すぐにわかりやすい事例の人ばかりに目が行ってしまうので、引き受けざるを得ないと思って、やらざるを得ないというところがありますね……。

山下:いろんな当事者運動で生じている問題で、もっと考えないといけないことですね。メディアも政治家もさぼっている。わかりやすい人をとりあげて、他者化して、その人たちの問題として理解したつもりになっている。一方では、当事者の側も、メディアや政治家にとりあげられると、それで社会に認められた、社会を動かせたと思って、そこにはまってしまう面もあるように思います。今日は、こういう問題意識を共有できて、ほんとうによかったです。ありがとうございました。

*5 テレビドキュメンタリーのディレクター吉野和保(よしのかずほ)さん。以下は自己紹介と制作番組紹介:
吉野和保 | Yahoo! JAPAN クリエイターズプログラム
「トークイベント「性別が性に合わない」ゲストから応援メッセージをいただきました!」

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