インタビュー:栗田隆子さん「呻き、対話、うっかり」

栗田隆子(くりた・りゅうこ)
1973年神奈川県鎌倉市生まれ。女性と貧困問題に関わり、働く女性の全国センターの代表を務めた。雑誌『フリーターズフリー』の編集にも携わるなど、執筆・講演活動などをしている。著書に『ぼそぼそ声のフェミニズム』(作品社2019)、共著に『フリーター論争2.0』『フェミニズムは誰のもの』(人文書院)『1995年 未了の問題圏』(大月書店)、『高学歴女子の貧困』(光文社新書)など。

——————————————————
日 時:2018年5月18日
聞き手:森下裕隆、野田彩花、山下耕平、柳大地
初 出:もじにわ第参号(2019年3月20日/編集:なるにわ/発行:特定非営利活動法人フォロ)
——————————————————

お茶とケーキめあてに修道院に

森下:まずは不登校になられてから信仰とフェミニズムに出会われるまでの経緯を教えてください。

栗田:自分が不登校する以前に、中学生のときに友だちが学校に来なくなったんですね。それで、プリントを届けに行ったら、そこが修道院だったんです。その子のご家庭はカトリックだったのですが、家族との折りあいがつかない事情があって、一時的に修道院にひきとられていた。ところが、そこで学校へ行かなくなって「たいへんだ」となっていたところに、私がのんきにプリントを届けにきたので、シスターたちは「友だちが来た」って、ケーキや紅茶で歓待してくれたんです。それに私は味をしめて、ここに来るとケーキが出てくるんだと(笑)。なので、修道院と出会ったのは、ぜんぜん信仰からではなかったんですね。プリントが溜まると修道院へ行ってお菓子と紅茶をもらう。そういうことをくりかえすうちに、シスターたちとも世間話をするようになって、シスターたちの生活ぶりがすごくおもしろいと感じたんです。

私の信仰は、シスターのありかたと密接に結びついています。修道院には、とにかくいろんな人が出入りしていました。不登校だった友だちもそのひとりですけど、ベトナム戦争から逃れた難民だとか、ピナツボ火山が噴火したころ、コラソン・アキノ大統領とも関わりがあり、さまざまな社会活動をしていたフィリピンのクリスティン・タンという修道女が寄付を求めてやって来たり。

おもしろかったのは、また食べものがらみですけど、ある日、芋掘りに誘われて「よしよし」と思って行ったら、シスターではない若い女の人が来ていたんです。お芋を掘ったあと、ミーティングがあって、いきなりシスターたちが「アルコール中毒は病気だ」という話を始めたんですね。アルコール依存症の女性たちの自助会のオープンミーティングだったんです。私はまだ14歳くらいで、なぜか突如参加することになって、けっこうな修羅場の話を聞きましたけど、あまりひく感じはなくて、むしろおもしろいなと思ったんです。それと、シスターたちは結婚していないですし、どうやって生活しているのかもすごく謎でした。病院や幼稚園を経営して生計をたてているようでした。

未遂の未遂、母と猫

栗田:そうしているうちに、不登校だった友だちは中学を卒業して、九州へ行っちゃったんです。でも、私としてはそれで修道院とご縁が切れてしまうのは残念な気がして、なんとかご縁をつなごうと思っていたんです。そうしたら、今度は私自身が高校で不登校になっちゃったんです。中学のときに複雑でイヤな思いをしたぶんの疲れが出たんだと思います。

高校は七里ガ浜高校(神奈川県鎌倉市)で、海がすごく近くて、環境はとてもよかったんですね。でも、すぐに調子が悪くなって行けなくなってしまった。入学してすぐの5~6月ごろです。どうして行けないのかがわからなくて、「学校に行けない自分はダメだ」って、ほんとうに強く思ってました。唐突に「死んでしまおう」と思って、自殺未遂とも言えない、未遂の未遂というか、お酒を飲んで死のうと思ったんですけど、飲んだら気分がよくなってそのまま寝てしまった。ちょっと錯乱していて、包丁とお酒をそのままにして寝ちゃった。勤め先から母親が帰ってきたら、娘のそばに包丁とお酒が置いてあって、これはえらいことだと。親もどうしたらいいのかわからなかったと思いますが、そのとき、私が「調子が悪いので病院に行きたい」と言ったんです。そこで病院に行きたくない人もいると思うんですけど、私は受けられる治療は受けたくて、自分から病院へ行きました。

三吉クリニックというところに母親に付きそってもらって受診したのですが、そこで最初に、医者が母親に向かって「この子が安心できる場所をつくってあげてください」と言ったんですね。1989年の話ですから、「安心できる場所」なんて言葉は流通していないんですよ。それは、けっこう衝撃的な一言でした。母親もそれを聞いて「うちはそういう場所になってなかったかもしれない」という思いがあったようです。けっこう素直な親ですね。

もうひとつ傑作なのは、そのお医者さんは誰にでも「猫を飼いなさい」と勧める人だったんです。親も医者の権力には弱いものだから、すぐに猫を飼うことにしたんですね。私の家に関しては、それはとてもいいことでした。猫はもちろんかわいいですし、親の世話好きな一面が垣間見えたり、猫がいることによって、家族の関係が変わってくるんですね。弟や妹ができた感じです。

私と母親は当時ずっとケンカをしていて、たいがい私がわーって泣いて終わっちゃうんですけど、泣いていると猫がよしよしって感じでなぐさめに来てくれるんですね。それで、あるとき、台所のほうから母親の「ぎゃー」っていう不穏な悲鳴が聞こえてきたことがあったんです。猫の判断では母親のほうが悪いと思ったらしく、母親をひっかいた。母親のほうも、それまでは動物や猫にまったく関心のない人だったんですが、猫を飼ったことで世界が広がっていったようです。動物って何だろう、猫って何だろうと。

私の不登校も、母親にしてみれば異文化みたいなものだから、世界を知るような感じで、彼女はそこに関してはけっこう素直で「不登校はいけない」とか「学校には行くべきだ」とか、その時点であまり言わなくなっていました。ただ、私があまりにも寝てばかりいるから、「もうちょっと起きてたら」と声をかけたそうなんですね。そうしたら、私は寝ながら「好きで寝てるんじゃない!」と言って怒ってたそうです。そういうことが半年くらい続いてから、七里ガ浜高校を辞めて通信制高校へ行くことになりました。

祈りとの出会い

山下:修道院のほうは?

栗田:学校へ行かなくなったり、自殺未遂の未遂をしたりするなかでも、シスターたちへの関心はずっとあったんですね。イエス・キリストという、2000年近く前に死んでしまった遠い外国の人に対して、思い入れがあってシスターの道を選ぶわけじゃないですか。それがずっと不思議だったんです。
 それと、小学生のころ偉人伝が好きだったんですが、キュリー夫人とかにまじってイエス・キリストも出てくるんですよね。でも、私はこの人に関してだけは何がえらいのかがわからなかった(笑)。病気を治したというのもかなり嘘っぽいというか、それは奇跡がなしたことですし、いきなり殺されてしまって、復活しましたとか言われても「これ何だ?」って思ってしまう。何がえらいのか、どんな功績を残したのかよくわからない。いま思えば、功績を残さないところがえらい人なんですけど、そのことがずっと気になっていたんですね。それをシスターに話したら、「ほんとうに関心があるのなら、イエスに対してどういう関係が自分にあるのかを、まずは問うように祈ってみたら」と言われたんです。

野田:なるほど。イエスと栗田さんの関係について、まずは祈れということですね。

栗田:祈りが前面に出てくるんですね。最初はもちろん「祈りって何ですか?」という状態でした。祈りというのは、別の表現にすると、言葉にしていく訓練だったと思うんです。あたかもイエスがそこにいるかのように、この相手には自分の苦しみはもちろん、何を言ってもいい。ただ、「嘘はつくな」と最初に言われました。「どんなに醜いことを思っていても正直に言いなさい」って。もし正直に言いたくない場合は「正直に言いたくありません」と祈ればいい。そこが私にとっては決定的だった気がします。自分の気持ちを認識していくことは、すごく力になったと思うんですね。嘘をつかない、醜い気持ちを否定しない。怖いとか、イヤだとか、「学校へ行きたくない」という思いも、当然そこに関わってきます。「どうしてもイヤなんです」「なんだか気が重い」とか、「なぜかわからない」とか。でも、正直になるってすごく難しいんです。やっていると、ついついえらい人になりたがる気持ちに気づいてくるんですね。たとえば「親にも悪いことしているな」みたいなことを言ってしまう。でも、そういうことを報告すると、指導者のシスターに突っこまれるんです。「ほんとうにそう思ってるの?」って。

野田:祈るときはひとりで祈って、その内容をシスターに報告するんですか?

栗田:シスターと、いっしょに聖書を読んでいる、もうひとりかふたりにシェアする感じです。聖書を読みながら、もしくは修道院のお庭を歩きながら、「深呼吸をして思うことを神に伝えてみたらどう?」というような。それは、私にとってすごく密度が濃かったです。私は、カトリックの教義や結婚に関すること(同性愛は許さないとか)はあまり知らなくて、あくまで黙想と呼ばれる祈りの文化が好きだったんですね。感情を大切にする、醜い気持ちも否定しない。だけど、それをいきなり人にぶつけるのではなく、神さまという存在があることでワンクッションできる。それまでの私は「言っちゃいけないことがある」と思っていたんです。でも、言葉にするということは、その抑圧に自分が気づくだけでも力になるし、生きていきやすくなる。そういうことを肌身で感じられたことは大きかった。たとえ「学校へ行くべきだ」という社会の力が強くても、「行きたくない」という自分の気持ちを肯定できる。それは社会からの肯定ではなく、いわばスピリチュアルな、目には見えない存在が肯定してくれる。そういうものが社会とは別にあるということを信じられるかどうかで、ずいぶん話は変わってくるんだと思います。それを信仰と呼ぶのなら、信じるか信じないかは自由な世界で、私は信じるほうを選んでしまったという感覚です。

野田:私はいまプロテスタントの教会が母体の作業所へ行ってるんですが、そこでは「神さまが呼ばれるから」という言い方をするんですね。そういう感覚ともまた少しちがいますか?

栗田:神さまとの対話をやっていると、自分ではそう思い込んでいます。「呼ばれる」と一言でいっても、どのように呼ばれるのかって問題があるじゃないですか。私の場合は波乗りをするような感覚です。そのウェーブに乗るか乗らないか、みたいな。

野田:なるほど。逆に言えば、どんなに乗りたいと思っていても波が来ていないと乗れないですよね。

栗田:そうそう。もちろん波を背にすることもできます。ウェーブがあって、私がサーフィンしたいかどうかです。「サーフィンしよう」って思っちゃった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました