講演会:山下英三郎さん「子どもの関係世界と修復的アプローチ」

日常での対話が大事

修復的対話といっても、いきなり犯罪の加害・被害というシーンで導入することは難しいです。むしろ、日常の場で、サークルなどで実践していくことが大事です。ふだんからの対話の文化、土壌ができてくる。そういう積み重ねがあると、いざ深刻なケースに出会ったときに、修復的対話が可能になってくる。

いろんなところで対話は行なわれています。地域のなかでも行なわれているものです。ただ、そこに枠組みとか言葉を与えるものとして、修復的対話はあります。こういう考え方があると、対話の基盤になる。

私も、1987~2010年まで、所沢市で居場所に関わってきました。中学生~30代の人たちのフリースペースで、多いときは60人くらいが参加していました。それぞれの課題も多様で、トラブルもたくさんありました。そのときは、修復的対話という枠組みは知らなかったんですが、誰も排除せずに対話することを大事にしていました。そうすることで、少なくとも関係が破綻しないですんできた。修復的対話は日本では難しいという意見もありますが、そうやって、近いことを実際にやってきた経験があるので、それほど難しいとは思っていません。

対話の具体的な流れ

カンファレンスの事前準備を具体的に言うと、まず、誰が参加するかを決める。どの範囲まで参加するか。多すぎても難しいので、参加者をファシリテーターと当事者で決めていきます。ファシリテーターは、参加者の情報を事前に知っておく必要もあります。相手の性格や背景を知らないままでは難しい。それから、ファシリテーターへの信頼関係=ラポールの形成です。さらに、場所の問題もあります。実際の場面では、会場のつくり方、イスや机の配置、座る場所、話す順番なども細かく検討します。

対話の段階では、まず、参加者に対する謝辞を述べ、主旨を説明します。誰かを裁く場ではないこと、責めたり価値判断したりするわけではないこと、相手を非難しないこと、など。そして、話し合った結果は合意事項を確認して、記録して残しておく。

また、コンファレンスの後は、クールダウンのために、お茶とかお菓子とか、いっしょに食べたり飲んだりすることも、関係をやわらげる上で大事な部分です。たとえば、震災のあと、被災地の学校の先生を対象にサークルをしたことがあります。休みなく働いていて、先生たちの被害体験も聞く必要があると考えたのです。話の中では、こちらが言葉をなくすような体験をみなさん話してくださいました。そのあと、そのまま日常に帰るのはまずいので、お茶飲んだり、お菓子食べたりして、最後はクーリングオフをしました。こうしたことも大事なんですよね。

それから、コンファレンスを終えたあとも、決めた合意事項に対して、フィードバックを求めていきます。合意事項が守られるように、フォローアップも必要です。守られない場合は、合意事項の修正も含めて、調整をはかります。場合によっては、コンファレンスを再開します。

コンファレンスでファシリテーターの注意すべきところは、まず、自分の個人的な意見で判断するのではない、ということです。自分が仕切るのではなく、相手が決める。ファシリテーターはリーダーではありません。どちらかの側に立つのでもない。これは教師がする場合には難しい場合もあります。指示したり助言するのでもない、謝罪や仲直りの強要はしない。そして、準備です。被害者への配慮が大事で、二次的な被害が生じないようにすることが大事です。

そして、中立の立場を保ちながら、損なわれた関係を、そこそこのところまで持っていくことができればいいと考えるわけです。

修復的対話への評価

修復的対話を実施したところの調査では、評価が高いです。たとえば、ウィスコンシン州の学校での調査(N=490)では、92%~100%の人が「役に立った」と回答しています。ほかにも、いろんな調査で評価が高い。その要素のひとつとしては、自主的な参加が前提ということがあります。先生たちにも直接話を聞きましたが、確信をもってよかったと言っていました。最初は、価値観のちがいに葛藤もあったと言いますが、「やってみたら、自分たちがラクになった。子どもが解決能力を持っていることを信じられる。懲罰はしなくてよくなった」などと話していました。

生徒にも話を聞きましたが、生徒のひとりは「一方の話だけでなく、両方の意見を聞くことができるのがいいです。他人の立場から話を聞いてみると、自分の方が正しいわけではないことに気づくことができました。人の話をよく聞くことができるようになりました」と話していました。

その学校では、トラブルのときだけではなく、日常のサークルを大事にしていました。毎朝、20分、サークル活動を開く。全校生徒を12人に分けて、教職員がファシリテーターになって実施していました。小学校でも、授業の合間にサークルを開いたりしていました。

オーストラリアのシドニーでは、就学前の子どもたちがサークルを実践していました。そういう習慣があることで、いじめがあったときでも、深刻化させないことができる。トラブルは、常にあるものです。しかし、そのことで、人が問題解決能力を高めることもできる。修復的対話は、家庭のなかでも、地域社会のなかでも、職場でもできるものです。

課題としては、まず、社会的認知の問題があります。許しを強要しているなど、誤解も多いです。それから、時間と手間がかかることですね。ていねいに対応していればいいのですが、中途半端だと、逆に不信感となって問題も生じてくる。

あと、ファシリテーター人材の養成です。誰がどこで養成するのか。難しいけれども、知識を蓄積していけば方法論も見えてくると思います。非難や批判より対話、展望が見えることで予防にもなっていく。

修復的対話の考えが広まり、実践が広まれば、安心で安全な場をつくっていくこと、関係を構築していくことができる。そのことが人々の幸福度を高めていくことにつながる。環境をいいかたちに変えていける。そう思っています。

ご静聴ありがとうございました。あとは、質疑をお受けしたいと思います。

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