講演会:山下英三郎さん「子どもの関係世界と修復的アプローチ」

当事者の声を聞くこと

大事なことは背景を把握して共感的に理解することです。大人の側の一方的な価値判断ではなく子どもの側から考えること。子どもの価値基準にそって判断する。子どもたちの価値基準と大人の価値基準をいっしょにしては、判断は正当になされません。

よく「子どもたちはコミュニケーションがヘタだ」という人が言いますが、本当でしょうか? 子どもの世界では、コミュニケーションのツールが広がっています。メール、SNSなどで多様にコミュニケーションしている。低下しているのではなく多様化しているだけです。かつて電話が広がったときも、年配の方は懸念したのでしょう。新しいものは絶えず排除されてしまう。

大人が子どものことを判断するとき、子どもは圧倒的に弱者です。子どもは常に負けてしまう。立つ瀬がない、逃げ場がない。だから「大人はどうせわかってくれない、信じられない」となる。

不登校のことを考えても、これまで文科省は不登校を減らすために多くの力を入れてきましたが、不登校の比率は減ってないですね。いじめについても同じです。大事なことは、子どもの声に真摯に耳を傾け、子ども個人の人格を尊重することです。

どんな場合でも、子どものニーズをキャッチし、当事者の声を聞くことが大事です。場合によっては、大人が権利擁護のために代弁することもあります。さらに、子ども自身が解決のプロセスに参加すること、そういう場を保障すること、対話の可能性を保障することが必要です。そのひとつとして、スクールソーシャルワークはあると思います。

私は1986年~98年まで、スクールソーシャルワーカー(以下、SSW)として活動しました。当時、SSWは日本で私ひとりだけでした。いまは全国に広がっています。なぜ、私がSSWをやりたいと思ったかというと、きっかけは校内暴力です。全国で校内暴力が相次ぎ、子どもたちが社会的にバッシングされていた。あるいは「親がなっていない」「教育がなっていない」など、そういう言われ方に違和感を持っていました。子どもたちが異議申し立てをしていることに対して、その背景を見るべき、聞くべきではないか。それを聞かないで対策を立ててもズレてしまう。その方法として、SSWの考えを知ったんですね。アメリカで行なわれているのを知って、これは日本でも必要だと思って留学しました。

その後、埼玉県の所沢市から委嘱されて実践活動していましたが、最初はパイオニアだと意気込んでいたものの、10年くらい立つと、日本ではムリかなという感覚も、正直、ありました。しかし、実際の活動では手応えを感じていた。直接、子どもの声、親の声を聞くことで、彼らの安心感につながっているという実感があったのです。子どもの声に耳を傾けるという考えにもとづいて対応することには間違いがない。しかし、そういうスタンスが広がっているかというと、そうでもない。だから声を聞くというやり方を、もっと進めていかないといけないと思います。

双方的な対話

修復的アプローチは、双方向的な対話です。大人と子どもが双方に対話する。誰かが一方的に決めるのではない。当事者双方で話し合う。そして、出来事の影響を重視する。その結果として、責任の取り方を重視します。責任を問わないのではありません。ただ、大人が一方的に決めるのではないということです。責任の取り方も対話のなかで模索する。謝罪や許しも自発性を大事にします。強制されるものではありません。関係を構築し、分断しない。分断は、コミュニティ全体にとってもマイナスです。当事者はその後も、地域のなかで生きていくわけですから。人間関係のネットワークが分断されては、大きな意味で社会的なマイナスになっていく。いかに関係をつないでいくか。破綻した関係を、どう再構築できるかが重要だと考えます。いまの社会で、いちばん深刻だと思うのは孤立です。マザー・テレサは「この世でいちばん不幸なのは、だれからも必要されないと思って生きていること」だと言ってます。おカネがどんなにあっても、孤立していたら不幸です。

それから、修復的対話は、過去ではなく現在および未来に焦点をあてます。未来を志向して関係改善を目指す。

修復的なアプローチは、かならずしも新しいものではありません。世界各地で、関係が不調和になったとき、平和的・調和的に対話する方法として、こういう方法はありました。たとえばネイティブアメリカンのナバホ族は、自治政府を持っていて、裁判所もありますが、「ピースメイキング」という話し合いによって解決することを重んじています。そこでは法的な責任を問うのではなく、勝ち負けを決するのでもなく、おたがいが問題解決に向かって、よく話し合うことが求められます。あるいはハワイの「ホ・オポノポノ」やマオリ族の「ワカハ」、南アフリカの「ウブントウ」など、さまざまな方法があります。「ウブントウ」はアパルトヘイト後に当時のネルソン・マンデラ大統領が組織した真実和解委員会(TRC)にも大きな影響を及ぼしています。こうした世界各地の平和的な対話方法に共通するのは、おたがいを尊重する、人間を尊重するということです。ニュージーランドのマオリ族の言い伝えでは、どんなにひどいことをした人でも話し合いの場では、ひとりの人間として尊重されるといいます。

近代の競争社会、人を蹴落とす、強い者のみが生き残るという社会では、こういうやり方は薄れていますが、それが修復的アプローチによってよみがえっています。1970年代半ばくらいからカナダで始まり、アメリカでも、いまでは司法分野では大きく広がっています。ゼロトレランスなど、従来の対策に効果がないことが明らかになるなかで、その限界を感じた人たちが取り組み初めています。アメリカ、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア、イギリスなどでは、学校でも修復的対話が取り組まれています。また、民族紛争の解決手段として、東ティモールなどでも使われています。とはいえ、まだメジャーではあるとは言えませんが……。

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