講演会:森田ゆりさん「エンパワメントと子どもの人権」

 奪われてはならないもの

安心・自信・自由、この三つは、奪われてはならないものです。

安心できず怖かったら、自分なんかどうでもいいやと自分に自信を持てなかったら、そして選ぶ自由がなかったら、あなたの生きる力・人権が奪われているのです。もし、自分の気持ちが、怖い、自信がない、選べなくて苦しかったら、それは大変なこと。ピーンと赤信号がたった。だから、できることがある。その第一は、誰かに相談することです。

1978年にアメリカのレイプ救援センターの女性たちが子どもへの暴力防止のためにプログラム化した CAPの心のレベルで考える人権は、世界の歴史のなかでも実に優れた人権論で、次世代に伝え続けていきたい人類の遺産です。子どもだけではなく親も教師も支援者も日々の生活のなかで活用できる人権理解です。

現政権の改憲草案が2012年に発表され、ネットで読むことができます。安心・自信・自由の基本的人権は民主主義の根幹として尊重されなければならないのに、改憲草案には、現行憲法は権利が多すぎるからもっと義務をとの改定が随所にみられます。私たちの人権を守るために、憲法改定への一人ひとりの意見を発信していくことが不可欠です。アサーション(相手も自分も尊重した自己表現)ですね。社会、権力へのアサーションを実行することは民主主義を機能させるためには私たちの役割のひとつでもあります。

エンパワメントとは

エンパワメントについては、私の著書のすべてで書いてますが、とくに『子どもと暴力』(岩波現代文庫)では、深く書いています。エンパワメントというと、力をつけることのように思われがちですが、そうではありません。力を外からつけるものではないです。エンパワメントというのは、本来、人は力を持っているという前提に立って、その力を発揮することが外からの力で抑えつけられているとき、それを取り払って、本来の力を発揮できるようにしよう、ということです。

身分制社会では、誰もが自分の力を自由に発揮することはできなかった。人権が尊重される社会は、誰もが自分の力を発揮できる社会です。

赤ちゃんは、いろんな力を生まれながらに持っている。たとえば、赤ちゃんは自分をいちばんケアしてくれる人(お母さんが多いですが)のマネをする能力を持ってます。あるいは、近くで別の赤ちゃんが泣くと、自分も泣き出したり、模倣するんですね。現在の脳神経生理学では可視化されてきていますが、赤ちゃんは、脳のなかのいろんなホルモンを活性化させながら成長している。たとえば、ミラーニューロンという神経システムを活性化させてお母さんとコミュニケーションをしている。このコミュニケーションがうまくいかないと、赤ちゃんは大きな課題を、ときには一生抱えていくことになる。それを反応性愛着障害と言います。愛着関係が1~2歳のあいだにできなかった子どものなかには、言葉も発達しない、共感性が発達しない、人間関係をつくるのが難しくなる、そういう症状を示す子が現れます。

生まれたばかりのときに、赤ちゃんのミラーニューロンシステムを、特定の人が受け取りながら、コミュニケーションしていく。赤ちゃんは、その人を匂いなどでかぎとって、そのなかでのコミュニケーションが愛着形成になっていく。不特定多数ではダメなんです。特定の人とのなかで、愛着関係は形成される。

赤ちゃんは、いっぱい力を持っている。泣くことで誰かに発信している。この持って生まれた力を豊かに大きくしていくこと。それが幸せな人間の成長です。ところが、現実には、それを阻むような社会がある。それを、私は外的抑圧という言い方をしていますが、その人が持っている力を外から押し込めるような力が働く。いじめなど、自分を否定され続ける環境であったり、あるいは、比較というのも外的抑圧です。たとえば、親が何気なく小さな子に、「あなたはお姉ちゃんとちがって美人じゃないから、頭のほうでがんばりなさいよ」なんて言うと、子どものほうは「私はどうせブスなんだ」と、大きな抑圧になってしまう。そういう環境が、多かれ少なかれ、人にはある。

外的抑圧と内的抑圧

そうなると、しばしば起きるのは、外的抑圧の内化です(下図)。たとえば「くさい」と言われ続けていると、「僕はくさいから、いじめられても仕方ない」と、自分の抑圧にしてしまう。あるいはレイプを受けた人やセクハラされた人が、暴力を受けたのに、「二次会まで付き合った私が悪かった」と、自分で自分を抑圧してしまう。そういう作用が働いてしまう。虐待された子の多くは、自分が悪かったと思っている。児童養護施設を刑務所のように思っている子もいて、「僕が悪かったから、こんなところに入っているんだ」と思っている。そうすると、外からの抑圧の力と、自分で自分を抑圧する力で、ぎゅっと自分を小さく小さくしてしまう。本来は、豊かな可能体として生きているのに、外的抑圧と、その内化によって自分を小さくしてしまっている。多かれ少なかれ、人々はそういう状況を生きています。

子どもたちの持ってるレジリアンス弾力性を

フリースクールを必要としている子どもや家族にも、こういう抑圧が働いているケースは少なくないと思います。図の内側から外に向かっている矢印は、レジリアンスと呼んでいます。レジリアンスとはもともと弾力性という物理用語です。ボールをぎゅっと押すと、はねかえる力がある。米国で70年代から、子どもの発達や社会教育の分野で最初に使われ始めました。

社会教育は、もともと「貧困層の地域の子どもたちに、こういうプログラムを届けよう」というように、持っていない子どもたちに上から与えようという発想でした。しかし、レジリアンスというのは。そういう環境にあるからこそ、子どもたちは弾力性を持っている。困難な状況を跳ね返そうとする力を持っている。抑圧が大きければそれを跳ね返すちからレジリアンスも強い。だから、プログラムを提供するなら、その被抑圧者の持つ力を活用する。リッチな地域の子どもたちにはない力。それは国際協力なんかでも使われています。豊かな国から貧しい国に何かをあげるのではなく、その人たちが持ってるものにアクセスし、それを発揮できるよう、ひきだす関わり方。エンパワメントというのは、この抑圧されている状況を変えていく関わりのことです。

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