自分自身のしんどさは
花井:私はフリースクールのスタッフとして働いたこともありましたし、その後には運営にも携わったことがあります。その当時を思い返すと、常に「自分はこれで合っているのか」と悩み、おそれながらも、毎日やるべきことが押し寄せてきて、とにかくやるしかなかった日々でした。毎日毎日をこなすことに精いっぱいで、そうやって走り続けていると、ふと自分が孤独な存在であることに気づくこともありました。アキさんは、どうやってそのしんどさを乗り越えてきたのか、どう日々を過ごしてきたのか、お聞きしたいです。
アキ:そうですね。ハジャセンターではソウル市から人件費が出ていますし、とても体制の整った組織で、経済的にも安定した状態にあります。しかし、ユジャサロンのときは、とても厳しい状況で運営していましたし、賃金も安かったです。でも、それほどつらくも孤独でもありませんでした。共同代表がもう一人いて、初期には教育的方法において意見が対立する場合も多くありましたが、信頼関係が深かったんですね。ほかのスタッフも、多いときで10人、少ないときで5人くらいいて、おたがいに深い共感を持ち合っていたと思います。
ユジャサロンの6年のあいだに学んだことはいろいろありますが、一番大きかった学びは、どんなに一生懸命やっていても、自分たち自身が不幸になってはいけない、ということでした。なぜなら、私たちが不幸そうにしていたら、支援されている人たちも「私のせいでスタッフが幸せじゃないのかな?」と不安になったり、「私も大人になったら結局あんなふうに不幸になるのかな?」と考えてしまうからです。だから私たちが幸せになるために、たとえば4カ月くらいCDアルバムの制作に専念して、ほかの仕事はほとんどしなかったこともありました(笑)。

ユジャサロンを閉業するとき、私たちは閉業を正当化するための理由をたくさん考えましたが、とくに大きかったのは、ユジャサロンの財政的な状況や韓国社会の状況を見たときに、「もしこのまま続けていたら、私たちは不幸になるだろう」という思いでした。もちろん、申し訳ない思いや惜しい気持ちもありましたし、もしあと4~5年耐えていたら、成功していたかもしれません。というのも、いまでは行政からの支援も増えていますし、私たちは他団体より10年は早く始めていたからです。でも、そのときに閉業を決断したことは、いまでも正しかったと胸を張って言えます。私たちはその6年間、幸せでしたから。
でも、それが可能だったのも、ハジャセンターという基盤があったからです。家賃をほとんど免除してもらって活動することができましたし、若者たちにもすぐに新しい仲間ができて、私にも先輩や仲間がいたからこそ、続けることができたのだと思います。ハジャセンターは、設立者とも言える趙韓惠貞先生の尽力もあって、公的に運営されているけれど、いわゆるお役所仕事のように「創造性ゼロ」にはならずに運営できているところがあります。ただ、一方ではソウル市の機関なので、市からのさまざまな規制や制約もあって、近年は規制がどんどん厳しくなってきているという事情もあります。
「大きな物語」のない時代に
山下:以前、趙韓惠貞さんにお話をうかがった際、韓国では若者が社会への信頼はなくし、「達観」して自分の「スペック」を高めることのみに邁進する一方で、希望を「放棄」する人がたくさんいるとおっしゃっていました。そうした社会状況のなかで、ハジャセンターのような場所も、ややもすれば、オルタナティブな「スペック」を追い求めることになってしまうというような、そういう懸念はありますでしょうか?
アキ:その点については、私たちは「能力(ケイパビリティ)」を育てるという言い方をしています。つまり、スペックではなく「ほんとうの力をつける」という方向です。韓国教育部も、10年以上前から「スペック中心教育から能力中心教育へ」と言ってきました。でも、実際には学校や大学では、そういう変化は起きていないんですよね。
最近は、いわゆる「名門大学」の学生たちも、たくさんハジャセンターに来ています。もちろん、彼らもある程度はスペックを維持したいとは思っているでしょうけど、それより「このままじゃもう生きていけない」という危機感を持っているように感じます。そういう意味では、「スペック」と「意味・価値」のあいだで揺れながら、どう生きていくかを模索している、そんな感じだと思います。スペックを積んでも自分の人生の問題は解決しないし、かといって、スペックをあきらめれば解決するわけでもない。
いまは「大きな物語」が疑われるようになって、だからこそ不安が増していますね。そういう時代だからこそ、自分自身のナラティブを書き綴ろうとする必要が増しているように思います。ハジャセンターで私が一番「すこやか」だと思うプログラムは、文章を書くワークショップです。「すこやか」というのはポジティブという意味ではありません。ワークショップでは、他人のナラティブをずっと聞くんです。そこで関係も生まれるし、自分自身に対する自信も生まれてくるようです。他者のナラティブを理解しようとしつつ、自分だけの固有のナラティブをつむいでいこうとする。そういう取り組みです。
山下:そういう場は大事ですね。私たちも、ささやかながら、そうした取り組みをしています。そういう場がないと、不安や苦しさから極右的な思想や排外主義に傾いていくあやうさがありますね。
アキ:誰かに出会ったり、何かに触れたりすることで、人は変わっていく。だからこそ、この世界のなかでどう生きていくのかを、私たちは問い続けていくことになるのでしょう。韓国はいま、生きること自体があやうい国でもあります。だからこそ、どう生きるかが問われていると思います。
ハジャセンターでは、いまは隠遁・孤立青少年の支援はしていないのですが、近い将来、また、そういう活動をすることもあると思います。これまでも、日本の支援者に多く会ってきましたが、今日の話は、私が考えてきたことと重なるところが多く、実践的にも、学問的にも、たくさん学ばせていただきたいと思いました。これからも、ともに歩んでいきたいと思います。
貴戸:長時間、ありがとうございました。ソウル市立の制度的な枠組みの中でユジャサロンのようなユニークで先駆的な営みが生み出されたことは、あらためてすごいと思いました。官民の連携というと、日本のフリースクールなどでは行政の委託を受けると資金面は楽になってもやりたいことがやれなくなる懸念もあり、民間の柔軟な営みを許容・活用する制度の必要性を感じます。韓国社会で進みつつある孤立隠遁支援の政策や当事者活動にもとても興味があります。今後も交流できればうれしいです。
