一個人として関われる

 
 
上辻 和史(うえつじ・かずし 14歳)
 News Letter#02/2002.06.29より



 「木を見て森を見ず」ということわざがあって、細かいところにこだわって全体が見えていないという意味なんですが、これは今の学校に当てはまると思います。学校に行くこと自体が定着していて、本来の考えを見失っている。だから、授業なんかでも中身はそっちのけで、いかに覚えさせるかってことに力を入れていて、結果的に名前しか覚えてないことが多い。それに、学校内の上下関係もよくわからないです。「学校に行くのが子どもの仕事」とか「義務」というなら、生徒がお金もらうべきなんじゃないか。べつに、「金くれ」ってわけじゃないし、そもそも「子どもの仕事」でも「子どもの義務」でもない。そういう問題ではないけど、ほとんど強制で学校につれてきて、(教師は)自分は税金もらってるのに、子どもに対して「してやってる」ような態度とられたら、納得できないですね。
 考えてみると、学校って、けっこう矛盾が出てくる。
 でもフォロは、一個人として見てくれる。上下関係もないし、個人としてはっきり言ってくれるし、権力的なものがない。フォロでやっていることは、どれも強制参加じゃないんですが、『時事講座』や『古典の時間』なんかは、出てみると話が広がっていって、わかってみると楽しい。『俳句・短歌づくり大会』ってのもあって、けっこう盛りあがりました。
 いろんな人の話を聞いたり、いろんなところに行く機会が増えるので、楽しいです。

子どもの声から...